Return to Activityの選択・工夫あれこれ

選択の考え方

Activityを選択する時の考え方についてご説明します。

1)特性 → 傾向の決定
2)能力 → 種目の決定
3)障害 → 場面設定の工夫

まず、初めに
特性に合わせてActivityの傾向を決定します。
創作的なActivityが適しているのか
仕事的なActivityが適しているのか

この時に
かつての趣味活動が参考になります。
「趣味なんて楽しむ暇なかったよ」
「生きるのに必死で」
とおっしゃる方も多くいますが
そのような時には
小さな頃よくしていた遊びや
小学校の授業で好きな学科、得意な学科を尋ねると参考になります。

大切なことは
「何」ではなくて
「どのように」というところを聴くことです。

そこに
その方固有の、特性や行動パターンといったその人らしさの一端が反映されています。

また、過去の生活歴を聴取できないケースも多々あると思いますが
そのような時には、現在のその方の行動をよく観察することで
特性を把握することができます。

Activityの傾向を決めたら
その方の能力で今できる種目を決定します。

ここでまた誤解が生じがちなのですが
認知症のある方にトレーニングをさせようという善意で
難しいことを努力してやらせる人がいますが
これは認知症のある方にとって効果がないどころか逆効果です。

「地獄への道は善意で敷き詰められている」
という言葉があったと思いますが
まさしく、その実践となってしまいます。

 「地獄は善意で満ちているが、天国は善行で満ちている」という言葉を知って
  腑に落ちました。

認知症のある方に何らかの認知的アプローチをすることによって
(通常のトレーニングのように、能力の少し上の負荷をかけることで向上を図る)
能力改善がみられるのは、MCIレベルの方です。
それでも実施する時にはさまざまな配慮が必要です。

認知症のある方は
暮らしていくことそのものだけで、既に多くの失敗体験、不安体験を重ねています。
本来、やって楽しい、充実感を得られるはずのActivityで
失敗体験、不安体験を余分に感じることは本末転倒であるだけでなく
実生活にも悪影響を及ぼしてしまいます。

できないことは提供しない
できることをする
という大原則を守っていただきたいと思います。

適切に選択・提供されたActivityを行うことで
「自分は自分なんだ」ということを体感し
「自分が損なわれることはない」ということを確信できる「場」になります。

そしてそのようなActivityの場を提供した人は
「自分を分かろうとしてくれている」ということを実感でき
もう一度周囲と建設的な「場」に在ろうとする意思と努力をもたらします。

言葉にならない、言葉にはしないけれど
確実に伝わるコミュニケーションの象徴として
Activityが機能します。

ですが
効果の高いものは逆効果となった時のマイナスも強く出てしまうものです。

特に
結果が明確に形になって現れてしまう手芸的なActivityは注意が必要です。
「自分のイメージ通りにできない」
ということをその都度フィードバックされてしまうからです。

過去の趣味的活動を提供したのに
やりたがらない
という体験をした作業療法士は少なくないはずです。

かつて
あんなに上手にできて
周囲からも称賛されていたことが
今、こんなにも難しくなってしまった
思い通りにできなくなってしまった
という能力低下、自らの老いに直面させてしまうことになります。

「昔とった杵柄」は
能力低下してしまった状態では逆効果になりますが
意味がないというわけでもありません。
「昔とった杵柄」は形を変えて甦る援助をすることはできます。
そこに作業療法士の意義があると考えますが
その詳細はきちんと説明したいので、別のところで記述していきます。

最後に場面設定の工夫についてですが
認知症のある方は何らかの身体的な障害や困難を伴っていることが多くあります。

臨床的に最も多く遭遇するSDATアルツハイマー型認知症のある方では
その疾患の定義上、高齢者なので、手指の巧緻性が低下していることがよくあります。
この当たり前のことを見逃してしまうと
例えば、ちぎり絵で和紙を1枚つまめない時に
手指の巧緻性低下のためにつまめないということが起こります。

詳細は、「ちぎり絵の工夫」をご参照ください。

認知症のある方は
「こんなこともできなくなってしまった」と感じたり
一生懸命、和紙を1枚だけつまもうと頑張るのに
なかなかつまめなくて辛い思いをしてしまうということもあり得ます。

職員の側でも
認知症のある方という先入観があると
手指の巧緻性低下ということに思いが至らずに
ただ何回も「1枚ずつとって」という指示を繰り返し
「指示理解ができない」と誤認してしまうことも起こります。

和紙というのは薄くて軽くて繊維同士が絡み合いやすいので
重なり合っている和紙の中から1枚だけつまむという動作は
手指の巧緻性が低下している方にとっては
動作的に難しい場面です。

このような時には
タオルの上に和紙を1枚ずつ並べておけば
つまみやすくなります。

障害や困難を補う工夫を場面設定そのものに行う
ということがポイントです。
ここでは身体的な困難を例に説明しましたが
近時記憶障害、遂行機能障害や構成障害のある方にとっては
それらの障害を場面設定で補うような工夫が必要です。
(例えば、パズルの工夫
このことについては長くなってしまうので
別のところで記述していきます。

また、Activityについて誤解がとても多いのが
認知症のある方に対して
「何もしないとボケてしまう」
「何かしないと進行してしまう」
という不安や善意からであったとしても
何でもやらせれば良い、いろいろなことをやる方が良い
というわけではない
ということを強調しておきたいと思います。

色々なことをやらせる方が刺激となって良い
というのは自分のことを考えれば変な考えだということが納得いただけると思います。

仕事をして、家事をして
さらに複数の能動的な余暇活動をしている人がどれだけいるでしょうか?
その余暇活動って多種多様ですか?

そういう人もいるかもしれませんが
たいていの場合には、仕事をして家事をしたら後は身体を休めたい
〇〇という趣味には時間とお金とエネルギーをかけるけれど
△△には興味がない
というケースが圧倒的に多いのではありませんか?

なぜ、認知症だからと言って
違うことをしなくてはいけないのでしょうか?
そしてそれらは、サービス提供者の側から善意で打診されるものです。
前提として、認知症のある方が断りにくい構造と状況があるということは
自覚してもしすぎることはありません。

Activityに関しては
もっと吟味と工夫が必要だと常々思っています。

日々の多忙な現場において
厳しい状況の中に私自身もいますが
現実的な困難は困難として、その状況下において可能なことは方向性を間違えない
ということだと考えています。

日々少しずつしか状況が改善されないとしても
善行を積む努力を重ねていく
少なくとも結果としてであっても悪いことをしないように
自分の善意と結果をすり替えることのないように・・・

Activityというのは生活、暮らしに必須のものではない
だからこそ、パワーがある
ただし、そのパワーはプラスにもマイナスにもどちらにも作用する
ということを忘れないように・・・