目の前にいる対象者が
Activityを拒否している状況によって対応も変えています。
1)失敗や混乱への予期不安から拒否する
2)Activityとは関係なくBPSDのために拒否する
まずは
1)失敗や混乱への予期不安から拒否する という場合です。
このような場合に無理やり誘導は逆効果です。
暮らしのベースに予期不安を抱えているのです。
普段はそれを言語表出しないだけで、
Activityをきっかけとして、あるいはリハ室・OT室への誘導をきっかけとして
表面化することはよくあります。
職員のあるあるな誤解は、きっかけに過ぎないものを
大きく問題化して解決案を検討するという方法論です。
(ここではそれ以上触れませんが)
予期不安を抱く…というのは、
ある意味モノゴトを予測できる能力があることを示しています。
イマ・ココとは、違う場所、違うことをする不安があるのです。
とすれば、
おだてたり、褒めたり、言いくるめたり、強引に誘導して促すのではなくて
不安が解消されれば拒否もなくなる→不安が減る対応を考える
ということになります。
ここでいう不安とは
「自分ができない、わからなくなる、混乱する」ことへの不安であって
「できなくなっても助けてもらえない」ことへの不安ではないということを
認識しておくことです。
ケアやリハの現場でよく聞く言葉の一つに
「一緒にやるから大丈夫」という言葉があります。
もちろん、この言葉を発する人の善意を疑うものではありませんが
認知症のある方の不安は、
一緒にやって助けてくれる人の有無ではなくて
自分ができない、わからない、混乱するという体験そのものへの不安なのだから
「一緒にやるから大丈夫」という言葉は実は認知症のある方の不安に対しては
的外れの言葉になっています。
そしてその自覚がないから言える言葉でもあります。
認知症のある方だって
他者の配慮、ましてや自分が日頃お世話になっている人の配慮は感じますから
そういってくれる人の配慮を慮って応じていることだってよくあります。
つまり、職員は認知症のある方を配慮しているつもりで
実は、認知症のある方に配慮されていてそのことに気がついていないという。。。
職員の声かけに
「はーい、わかりました。どうもありがとう!」と笑顔で応じて
その直後にくるっと私の方を向いて
笑顔でペロッと舌を出しながら「あぁ言っておかないとさ」
って言われたこともありました。
HDS-R7点の方です。
認知症のある方の
「できなくなる、わからなくなる、混乱する」ことへの予期不安に対して
私たちがすべきことは、
「できた、わかった、混乱しなかった」という体験の提供です。
自分一人でもできた、困らずにラクにできた という場面設定ができることです。
そのためには
目の前にいる方の、特性と能力と困難を的確に見極められていること
少なくとも見極めようとしている態度が肝要です。
状態像を的確に把握する努力を怠り
全員一斉に同じ課題を提供し、
隣でできないことをその都度教えたり介助したりすることではないのです。
誤解のないように書き添えると、
上記の対応がむしろ適切な場合もあります。
それは認知症のある方が生活歴の中でそのような体験を多々積んできており、
しかもそういった体験を好んでいる場合です。
でも決して万人に通用する場面設定ではありませんし
そういうケースはあまり多くないことも書き添えておきます。
もうひとつのポイントとしては
Activity遂行の過程と結果が明確に示される手工芸的なActivityの場合には
仕上がりの綺麗さも求められます。
一生懸命やった結果の見た目がイマイチでは、ガッカリするのが人の常
まして、過去に趣味や仕事として為したことのあるActivityでは
比較対象の基準が内面化されているので要注意です。
また、綺麗に仕上がった作品であれば
ご家族やご友人など大切な人へのプレゼントにもなります。
お世話になるばかりじゃない、してあげられることがあった
という体験をカタチにできるのです。
そういう意味で重宝しているのが
写真で掲載している、毛糸モップです。
編み物をしていた女性も多いですし、草履を編んでいた男性も多くいます。
工程が少なく、段階づけも多様にできるので
数分前のことも忘れてしまうような近時記憶が著明に低下している方でも導入が容易です。
HDS-R3点の方でもできたというご連絡をいただいたこともありました。
作り方や段階づけ、応用についても
複数の記事を書いていますので、検索してみてください。
長くなったので
2)Activityとは関係なくBPSDのために拒否する
については、次の記事で書いていきます。
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