誤謬の罠


OTが陥りがちな誤謬の罠

立方体透視図模写テストや五角形模写課題を検査することはできても
構成障害とは何ぞや?と問われた時に答えられなかったり
トレイルメイクングテストの検査方法を知っていても
遂行機能障害とは何ぞや?ということを言語化できない人は少なくありません。

検査のための検査、テストのためのテストになっている。
この障害にはこのバッテリーをする。と教わったからやっている。
でも
概念を明確に認識することなく行っているから
結果を日々の行動観察と結びつけ、洞察することができない。

だとしたら
まずすべきことは
構成障害とは何ぞや?
遂行機能障害とは何ぞや?
という概念を明確に認識することから始めるべきです。

もしかしたら
養成校や各種研修会で
訳のわからない長い定義みたいなものを教えられて
わかったようなわからないような気持ちになって
でも「もっとわかりやすく、はっきりと教えてください」なんて言えるわけがなく
もやもやした気持ちを抱えながらも、
テスト対策のために言われた言葉を覚えるのに精一杯で
そのうち忘れてしまって
なんとなく心のどこかでマズイかも。。。と思いつつも
それとなく同僚や先輩に聞いてもちゃんとした答えが返ってこなくて
いつの間にかそのままになってしまっていた。。。
なんてことがあるんじゃないかしら?

OTは確かにさまざまな分野で
多種多様な知識と技術を蓄積・発展させてきましたが
一方で本質的な課題については
いまだに私が学生の頃と同じような状況が続いているようにも感じています。

たとえば
目標とは何?

今、即答できなかった人は
目標を目標という形で設定できていない人です。

そんなの別に大したことじゃない。
目標なんてどうでも臨床と関係ない。
そう思わされているかもしれませんが。。。

たぶん
目の前の臨床に追われていたということもあるのでしょうけれど
目の前のできごとには必ず本質も反映されているものです。
そういうことがわかる人って少ないものです。

今までは
概念の本質的な把握
明確に認識するということがどういうことなのか
曖昧な認識で臨床に向き合うとどのような弊害が起こるのか
言語化して説明できる先輩があまりに少なかった
実際のケースをもとに説明してくれる先輩が少なかったのではないかと考えています。

本質的な課題を改善・解決できないから
一層、表面的な対応に注力されてしまった。。。
理論、論文作成・発表、EBM、バッテリー、やりたいことをやる、OTの素晴らしさを語るetc. etc.

本当は自身の臨床能力を高める、結果と出すために
対象者の能力と障害と特性を見極め、観察・洞察を磨き
オーダーメイドの展開ができるように注力すべきだったと考えています。

いろいろな分野の中でも
認知症のある方に検査はできないから
「何をしたらよいのか、わからない」
「認知症は難しい」
という感想になるんだと思うけど
本質がわかっていないから認知症のある方への対応に困る
というカタチで現れているだけで
どの分野においても共通した問題が潜在しているんだと感じています。

もっと地道に
概念の本質を把握する、明確に認識するということを一人一人が始めるべきだったんです。
そうすれば、事実に基づいて観察することができるようになります。
観察ができれば、今その方に何が起こっているのかということを洞察できるようになります。
だから、結果として起こっている生活障害やBPSDに対してどうしたら良いのかということが
自然と浮かび上がってくるのに。。。

何事も始めるに遅くはなし

ひとりでも多くの人が
結果が出せる
臨床能力を高められるように
観察・洞察を磨けるように

養成校の教員も臨床家も
ともに手を携えて初心に返ってリスタートする
良い時期なんじゃないかな?

 

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