私も昔、精神科作業療法をやってはいましたが、正直なところ無能で作業療法士失格人間です。それもあって辞めたわけですが。
そんなわけで、精神科作業療法士の方に対してどのような作業療法を行うべきか、実際に具体的なアドバイスは殆どできません。実際にやっているところを見たり、話を聞いたりすれば、指導できることもいろいろあると思いますけど、見ても聞いてもいないのにここに書くわけにもいきません。
そんな私が精神科作業療法に携わっているOTの方々に対して「臨床の能力を向上させるにはどうしたら良いか」を教える資格なんかない、と思うかもしれませんが、基本的な確かな知識や治療の能力はあるので以下に述べる次第です。
そういう意味では私よりも指導者に相応しく優れた人もいないかもしれません。高慢、思い上がりと思われるのは百も承知ですが、これでも謙虚なつもりです。
実際に私はOTとしては無能でも1年目から患者には尊敬されており評判は良かったのです。患者も「ごむてつ先生はすごい」「良い人だ」「患者のことをよくわかってくれる」などと主治医にも言ってくれるので、精神科医からも尊敬とまでは言わなくとも一目も二目も置かれ、下へも置かないという扱いを受けていました。
そうした評判が広まり評価が定まると看護師や他の職員も徐々にわかってくれます。とはいえ、やはり人によるわけで、わからない人はいつまで経ってもわかってくれないですけど。でも8割方の人には尊敬されるようになったと思います。
OTの人は良く「作業療法を理解しててくれない」「わかってもらうのが難しい」と言いますが、私からすればともかく良い作業療法をやって結果を出せば良いだけのことです。必ずわかってくれる人もいるはずです。もちろんわかってくれない人もいますが、そういう人はいくら説明しても目の前で見せてもわかってくれないでしょうから、相手の認識や考えのレベルが向上するのを期待するしかありません。
話が逸れましたが本題へ。
ここに書くことは基本の基本ですので、OT以外でも精神科医でも臨床心理士や心理カウンセラーにとっても同様に役立つはずです。
やはり考え方が大事です。
正しい理解と洞察・理解と正しい考え方が基本にあればいくらでも応用は利くし、検証可能性も確保できる、すなわち進歩、向上していけいるはずですが、それがないとますますおかしな方向に向かってしまい、やっていることが頓珍漢になってしまい、治療者としても殆ど成長もしくは向上しません。そういう「セラピスト」はいくらでもいると思います。
精神医療に携わることの恐ろしさの一つは、経験値が上がっても進歩・向上するとは限らず、職業人としては慣れて能力が上がったかのように見えても、臨床家としてはどんどんダメになってしまうことがあることです。
そうなってしまうと、取り返しがつきません。そういう人は自分がベテランだと思い込み、間違った自分を正当化し、他者の優れた助言も受け入れようとしないでしょう。
これは個人だけの問題ではなく、組織では特に集団化しやすいので要注意です。共同幻想にはまってしまいそこから抜け出せないばかりか、それ以前に問題を対象化できず、もちろん解決もしくは克服もできない。
プロのセラピストであれば自分自身の評価がきちんとできることも当然必要です。
精神医療従事者たるものは外部の第三者にも、治療の話ができる相談相手を持っていたほうが良いと思います。分析医であれば駆け出しの少なくとも数年間は、スーパーヴィジョンを受けながら治療に当たるのが当然で、研修医であっても数年間は先輩医師の指導を受けながら診療を行うのが当然です。
前置きが少々長くなりましたが、基本の基本を以下に述べたいと思います。
それは…
精神疾患の原因は心的外傷であり、「全ての精神疾患は複雑性心的外傷後ストレス障害PTSDである」ことを徹頭徹尾理解して、血肉とすべく徹底的に身につけ、その上で患者に接することです。
複雑性心的外傷後と言う意味は、
1)幼児期からの(主に養育者から受けた)心的外傷(トラウマ)と、それによる精神的発達の未熟さや脆弱性など。
2)ある程度年齢が行ってからの(主に思秋期以降)犯罪被害、イジメ、パワハラなどのストレスや、不適応による精神的挫折など、その他いろいろな精神的問題によるトラウマ
これらが複雑に複合的な原因になって発症していることです。
心的外傷後というのは外傷体験が終わった後でも、脳内もしくは精神内界ではいつも繰り返し生じていることで、実際には現在も続いており、外傷は拡大していいかも知れません。特に家族と一緒にいる人は。
図式的に言えば、前者は原因としてのトラウマ、後者は誘引としてのトラウマと捉えても良いかと思います。
前者は暴力・遺棄といったと虐待ももちろんありますが、精神的虐待、言葉の暴力でさえない、療育者(殆どは親)の接し方や環境の問題でもあります。
「人はパンのみにて生くるにあらず」
そうは思えない「精神病は脳の病気」だと言う人も、もちろんいるでしょうけど、そうした考えは徹底的に排除し、心底から(実を言えば無意識のレベルから)「全ての精神疾患は複雑性心的外傷後ストレス障害PTSDである」だと思わなくては治療にはなりません。
精神病の患者さんは、今はひどく攻撃的であったり、他者を傷つけたり迷惑をかけている存在かもしれませんが、かつては自分自身がそうした被害を激しく被りそのことにより傷ついている人であり、周囲に対して無防備です。
「皮膚が全て剥ぎ取られ、筋肉がむき出しになった身体」のような精神でいるわけです。
病院の中で見ているだけだとわかりにくいかも知れませんが、多くの場合、他者を傷つけるより傷つけられてしまう、勝手に傷ついてしまう人です。
間違った考えにではむしろ悪化させることが多く、実際にそうしている精神医療従事者はいくらでもいます。治療どころか悪化させるのが主な仕事になっている。現状の精神医療の臨床的成果の乏しさや治療の不適切さをまず認めるべきです。
「精神病は脳の病気」というのはただの迷信で、もはや仮設にもなっていません。そう思い考えるだけでも有害です。
百万歩譲って「脳の病気」だとしてもOTにはもちろん、精神科医や臨床心理士にだって脳が治せるわけではありません。もちろん向精神薬は脳に影響を与えますが、厳密な意味では精神の治療にはなりません。もちろん、OTは薬物の処方もできませんが。
「精神病は脳の病気」という神話、もしくは信仰というより迷信がまかり通ってしまう主な理由は、
・脳の状態が良くないことを脳の病気としてしまい、器質性と機能性を区別できていないこと
・幼児期というよりもむしろ二歳半以前の乳幼児期に(無意識による)脳の使い方の基本が条件付けられ、精神機能の傾向が決定づけられているため、
あたかも「脳の病気の遺伝子があって、ストレスや外傷体験によりそれが発露し精神病になる」かのように見えるためでしょう。
もちろん、他の理由もあるでしょうけど。お金儲けとか地位とか。医療従事者側が自覚していることはまずありませんが。製薬会社も「心の病」と言いつつ、脳病信仰を捨てることは今後もありえません。
もちろん、遺伝的な脳の特質も精神疾患の原因に関係はあり、病像には大きな影響がありますが、精神病の発症や症状形成の基本的な決定因になるわけではありません。
脳科学もそれなりには進歩したようですが、それが直接精神疾患の何かを解明し、どこまで行っても平行線で臨床に直接結びつくことは今後もないはずです。こじつけは、これまでもこれからも大いにされるでしょうけど。
精神と脳の機能が不可分一体であることを前提に、精神疾患と中枢疾患を切り分けることに成功したのが20世紀の精神医学の最大の進歩ですが、多くの精神医学者はこのことを理解できず、何の根拠もなく何でも脳のせいにした大正時代に戻ってしまいました。
病院も癲狂院(なんだかわからない気違い)→脳病院(頭がおかしい脳の病気)→精神病院(精神、心の病)と一応進化したはずなのに後退甚だしい。
脳の病気ではなく精神の病気だから精神病なのです。
もちろん患者さんの脳の状態や働きは良くないですが、精神病は器質的ではなく、機能的な疾患です。そこを皆、理解せず曖昧にいい加減に恣意的にミソもクソも一緒にしてしまった。
もちろん合併することはあるし、似た症状はいくらでもありますが全く別物で、そこは区別できなければなりません。
脳の病気の症状は精神疾患にはありません。逆に精神疾患には脳の病気の症状はなく、普通の人にもあるものだけです。どんなに奇妙に見える症状でも、「健康な人」との差は激しくとも、平たく言えば結局のところ程度問題で、もちろんいろいろな傾向もありますが、人間の精神はそういうものです。
わかりやすい例をあげれば、例えば心的緊張による手の震え(書痙)は多くの患者さんにありますが、小脳失調を伴う中枢疾患によるものと心的な緊張によるものは震え方も全く違います。両者の違いは一目瞭然ですが、どう違うのかと言われてると困ってしまいます。ビデオを撮ったり加速度計などを使って画像診断や計測はできるでしょうけど、そんなことより洞察力や観察力を上げることが重要です。
しかし、両者ともただの振戦としてしまえば区別はつかず、治療的にも適切な治療的対応もできません。
メンタルな原因によるものを「脳の病気」と考え、そういう頭で先入観を以って見てしまうと素人でもできたはずの区別もつかなくなり、「見れども観えず」になってしまい、もちろん治療も見当違いのエクササイズになってしまいます。
中枢疾患による小脳失調のある患者さんに適した運動療法や機能訓練は、心的な緊張による振戦に対してはほぼ無効で不適切です。少なくとも精神疾患の人には有効な精神療法、心理療法的な対応を並行して行わなくては身体的改善もほぼ無効であり、書痙の人に書字訓練を行うとしても中枢疾患と精神疾患の人では、練習法や指導のポイントも違います。
ヒステリー性の転換症状としての運動麻痺にもやはり運動療法や機能訓練は不適であることは誰でも知っているはずです。
「幻覚・妄想なんて健常者にないだろ」と思うかもしれませんが、もちろんあります。もしくは乳幼児期にはあったことです。反感を持つ人は精神分析学、精神発達学など徹底的に勉強して下さい。
統合失調症でも神経症でもうつ病でも精神疾患は基本は同じです。精神疾患には本来、区別はなく、病名は疾患区分、疾患単位ではなく疾患概念に過ぎません。診断名は便宜的なものに過ぎません。
そのことについては長くなるので稿を改めて書きますが、とりあえずここでは触れません。
精神疾患を「脳の病気」としてしまえば、薬漬けにしたり脳を破壊したりで、もちろん治療どころではありません。かつてはロボトミーなども行われましたし、殆ど行われなくなった電気ショックも再び盛んに行われています。
私はそうした脳破壊をする人は患者に近づいてはならないと思います。近づいただけでも、一時的ではあれ、程度はともあれ(器質的にではなく)脳の機能を破壊します。もちろん物理的に侵襲し破壊するのは言語道断です。
そういう人がそばにいるだけでも精神の不調をもたらし、患者は具合悪くなる。悪くなりっぱなしかも知れませんけど。
そのような考えの人がこうしたことに気づいていることは、ほぼありえませんが。
はっきり言えば脳病信仰にとりつかれた精神科医が処方する向精神薬よりも、素人が適当に調べただけで処方した方が、同じ薬でも同じ相手(患者)でも後者の方がおそらくマシでしょう。
そんな滑稽なことはあるかっ!と思う人もいるでしょうけど、精神疾患の本質がわかる人なら同意できるはずです。
貴方が、例えばある人と1カ月の海外出張や旅行に行くことを考えてみましょう。
Aさんと行けるのは思っただけで楽しみ、ウキウキ・ワクワクするけど、Bさんと行かなければならないとすれば、考えただけで病気になりそう、実際に行く前から病気になってしまう、ということもありうるはずです。
海外旅行は大好きだし楽しいし行きたいけど、Bさんと行くくらいなら行きたくない、よほど深刻な疾患でもなければ、病気で寝ていたほうがマシ、かも?
基本的には相手にとっても同様であることが多いと思いますが、この場合Aさんはさほど楽しみではなかったり、Bさんは嫌がるどころか楽しみにしているかも知れません。
Bさんの場合は貴方の気持ちなどわからず、気にもしていないでしょう。
Aさんのような人は相手に対する理解や配慮もあるでしょうけど、Bさんのような人は相手のことを理解せずわかったような気になって、しかもそれに自信を持っていたりします。
結婚するなら一緒にいるだけで波長が合い、何も言わなくても気分が良い、楽しく充実している人が良いです。
惚れて腫れて口説かれて、尽くして尽くしてそして騙されて、どうせ騙してくれるならずっと騙して欲しかった、などと言う場合は、口説かれて悪い催眠にかかったようになり、いわばマインドコントロールされた状態になっていたわけです。
「第一印象が大事」と言いますが、そこには無意識の関係性の多くが含まれているからです。
いるだけで有害な人もいるだけで善い人もいますが、実際には前者は有害な行為を、後者は良い行為をするはずです。
特に患者と子供には邪悪な人間を近づけるべきではありませんが、なかなかそうは行かず、子供好きの親や精神医療従事者や心理カウンセラーが甚だしく邪悪であることもしばしばあることです。
繰り返しますが、人は一緒にいるだけでも大きな影響力があります。患者さんに於いておや、尚の事です。
患者さんの側に居るだけでも良い治療者になろうではありませんか。
それには知識も理論も必要で、長年の経験と勘も必要であり、経験値を上げるべきで、長い修業が必要かもしれませんが、正しい道を行くならばそれも苦しく辛く険しいばかりではありません。
基本がわかれば応用はいくらでも効きます。
逆に基本を知らずに「精神病は脳の病気」として、ただの便宜的な分類に過ぎないDSMなど覚えたり、それを適用してわかったようになるなんて遇の骨頂でトーシローの考えです。
OTでそんな人は殆どいないと思いますが、今はどうでしょうか?むしろ精神科医がやっていることですが、そこから患者にとって有益なことは何も生まれません。
セラピストたるもの反治療的なこと、精神の不健康をもたらすことは絶対にやるべきでありませんが、治療になることなら何をやっても良い、むしろやるべきだと私は思っています。
この辺りが、私が正統派精神分析には与せず、自称ポスト新フロイト派たる所以でもあります。
もちろん、治療的であるか反治療的であるかはそう簡単に分かることではありませんが、基本ができていればいくらでも応用はできます。
そのためには考え方ものの見方が重要で、正しい考えができていれば患者さんに対する接し方や働きかけも違うはずで、どうすれば治療的になるのかの判断も瞬時に可能で、先の見通しも可能になります。
不適切な間違った考えでは、そうした判断もできません。
心的外傷と回復 〈増補版〉 ジュディス・L. ハーマン みすず書房https://www.amazon.co.jp/dp/4622041138/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_TAYQ1T7MXCQ8QBVQDPW9
現代精神医学の概念 ハリー・スタック・サリヴァン みすず書房
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人間関係の病理学 フロム・ライヒマン 誠信書房
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