理屈で考える:なじみの関係


「毎朝訪室して挨拶してなじみの関係になって信頼関係を作る」
という言葉をいまだに見聞きすることがあってびっくりしています。

自分のことを考えてみればわかると思いますが
毎日顔を合わせているから信頼関係ができるわけではありませんよね?
職場の同僚や先輩や上司にも、いろいろな人がいますよね?
その人が信頼に足るから信頼しているのであって
毎日挨拶したって信頼できない人は信頼できないじゃないですか。
仕事だから自分の感情は傍に置いておいて普通に接しているだけで。

認知症のある方に信頼してもらえるかどうかは
認知症のある個々の方の価値観に反した言動をしていないか
認知症のある方の困りごとを解消しようと努力しているか
ということが認知症のある方に伝わった結果として起こることです。
まずは、自分が認知症のある方の信頼に足る存在になれるように努力することが先なんです。

結果として、信頼関係ができるのであって
それを目的化するのは本末転倒だし
そもそも看護介護職員は、なじみの関係になっていなくても
入院入所の当日からケアをしなくてはならないのです。
なじみの関係になってから排泄介助をします、なんて言っている看護介護職員に会ったことはありません。

「なじみの関係になる」ことを目指すというのは
結果として起こることを目的化したり
手段を目的化してしまうということを意味しています。

私は常々、何か良いとして提唱されたツールでも
最初から除外要件が大きいものは本質ではないと考えています。
その一つが、なじみの関係です。

せっかく毎朝訪室するなら
なじみの関係になることを目的化するのではなくて
一定の時間帯でその方の言語理解力や言語表現力に変動があるかないか
あるとしたらその変動の幅を把握することを目的化した方がずっと有益だと思います。

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