解決策は困りごとの中にある


「口を開けてご飯を食べてくれない人がいるんです。どうしたら良いでしょうか?」
「口の中に食事をためこんで飲み込んでくれない人がいるんです。どうしたら良いでしょうか?」
「歩けないのにすぐに立ち上がる人がいるんです。どうしたら良いでしょうか?」
「ちゃんと声かけをしているのにすぐに怒る人がいるんです。どうしたら良いでしょうか?」

真摯にお仕事に向き合っているからこその、悩みだとは思います。
世の中には自分が困らないように立ち回る人も少なからずいますから
困ることができるというのは、それ自体尊いのだと感じるようになりました。

でも
困った時に誰かに聞いて、ちゃんと役にたつ解決策を提示されたことがありますか?

たいていの人は、表面に現れる困りごとをそのまま受け取り
修正しよう、改善しようとして、ハウツーを当てはめる方法論をとっています。(下図)

でも、本当は
一見、困りごとに見えるその言動にこそ、障害や困難だけでなく能力も反映されています。
それらを観察し、何が起こっているのかを洞察できれば
どうしたら良いのか、は自然と一本道のように浮かび上がってくるものなのです。
(下図)

だから、本当に困りごとを解決できるのは
その時その場のその関係性の中にいる、あなただけです。

観察するためには知識が必要です。
知識とは単に聞いたことがあるという程度ではなくて
概念の理解ができていることが必要です。
案外、疎かにしている人が多いということに私はずっと気がつきませんでした。
(目標を目標というカタチで設定できていないのに平気だったり
 検査はしても構成障害とは何か、遂行機能障害とは何か、
 答えられなくても平気な人の方が多いのだということに気がついた時には愕然としました)

「その人に寄り添ったケア」という理念は素晴らしいものですが
理念は唱えれば実行できるものではありません。
声高に「その人に寄り添ったケア」を語るよりも
どうしたら高邁な理念を具現化できるのか、
その思考過程を明確化・言語化することが必要だと考えています。

知識があるから
その方の言動に反映されている障害を観察することができる。
障害を観察することができるから
その裏返しとしての能力を見出すことができる。
だから
困りごとという結果としての表れに反映されている、その方に何が起こっているのか
イマ、ココをどんな風に感受・判断しているのかを洞察することができるのです。

観察は非科学的だから検査やバッテリーが必要と言う人も少なくありませんが
困りごとの場面と検査をしている場面とでは場面そのものが異なります。
当然見ている場面が違うのですから
発揮される能力も障害も異なりますから、検査やバッテリーをいくら行ったとしても
対応の工夫に役立つことがないのです。
また、観察が非科学的なのではなくて
非科学的な観察しかできないことがプロとして問題なのです。

検査や最新の理論を紹介している人はたくさんいますが
そのような人で認知症のある方への対応に関して
納得のいく対応をしている人に出会った試しがありません。

人文科学としてのプロをどうやって養成するか、という問題なのです。

現行のケアやリハの在り方では、もう既に行き詰まっていると思います。
違いますか?
なぜ、行き詰まっているのか
じゃあ、どうしたら良いのか
それは、なぜなのか
ということを実践をもとに提案しています。

それが私に課せられたお役目だと考えています。
きっと探している人がいることと思います。
きっと受け止めてくれる人がいることと思います。

興味のある方は、このサイトの色々をお訪ねください。

もしよろしければ
オンライン研修「認知症のある方へのリハビリテーション」
対面研修「食べるチカラを活かす食事介助」
にご参加ください。


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