必要なのは過程における自己承認


学ぶということは変わるということ
変わり方は人それぞれ、その時それぞれであっても

一人前のセラピストとは
過程において自己承認ができて
結果において目標達成できる

ことだと考えています。

だから極論すると
臨床経験1年目から一人前のセラピストになることも可能だし
臨床経験30年の人でも一人前のセラピストとは言えない人だっていると思います。

多くの場合に
私たちは過程において自己承認ができるようには教わっていないから
一時的に他者承認が必要な時期もあると思う。
でもそれは将来、自己承認ができるようになるための前段階として。

いつまで経っても自身の考え方や実践に
「見通しが持てないなかでやってる」
「これで本当に良いのか不安」
と言ってるようではプロとは言えないと思う。
それってカタチを変えれば
予算立案の際に
「このくらいの予算でいいんじゃないかと思うんだけど自信がない」
って言ってるのと同じだからです。

予算立案と目標設定の類似性については
_前の記事「見通しが立たないからこそ目標を設定する」_に記載しました。

漠然と根拠もなしに「このくらいかな?」では自信がなくて当たり前です。
自信がないのは、「予算の確かさ」ではなくて
「予算の根拠」なので、ある意味自信がなくて当たり前です。
テキトーな根拠に自信を持たれたら困ります。
一つ一つの事柄をきちんと調べて確認してから
必要経費を計上していれば
「このような活動をこれだけの人数で行えばこのくらいの予算が必要」
と明確に言えるものです。

自分の実践に見通しが持てなかったり、不安ばかり募るというのは
結果的に生じている
ことで
本来、フォーカスすべきは、状態像の把握ができていないということなんです。
  やるべきことをやっていないのですから、不安で当然です。
  やるべきことをやっていないのに自信を持てる人は傲慢であり
  そのようなあり方は科学的態度から最も遠い在り方です。
  不安や困難を自覚している人はまだ成長の可能性があります。
  自身の不安や困難を否認して自身が困らないことを優先する人は

  どうしようもありません。
つまり、論点のすり替えが起こっていることに無自覚なことが問題なんです。
だから、自己修正ができない。
問題設定の問題なのです。

予算を立案するために、一つ一つの事柄をきちんと調べて確認するのと同様に
対象者の状態像を把握するために、障害と能力を一つ一つ明確化していけば良いだけなのです。

ところが、
障害と能力の明確化という過程を
案外、ちゃんと教わってこなかった、学んでいなかった
 ということに
ここにきて初めて気がつく人もいるでしょう。
いくら、すべきと教わった検査をしても
それだけでは状態像の把握に結びつかないことに直面する
からです。
愕然とすると思います。
じゃあ、どうしたら良いのか?

障害に関する基礎知識を学び直し
今、できていないことがどんな風に困難なのか
今、できていることがどんな風にできているのかを
よく観察することです。
  状態像の把握ができていない人は十中八九、観察ができていません。
  できていると思っている人でも実はポイントほど見逃しているものです。
今は良いデバイスがありますから、
対象者と職場の許可を得て録画しましょう。
そして何回も繰り返し見直すのです。

本当は、ここでちゃんと教えてくれる人がいると良いのですが。。。
 この行為は、こういう能力があるからできる
 一方で、こういう障害を代償している側面もある
 この発言は、こういう能力があるからこそ出てくる
 一方で、こういった障害の恐れもある
などとちゃんと解説してくれる人がいると一番良いのですが
近くにいなければ、覚悟を決めて自分でやるしかありません。
「読書百遍義自ずから通ず」は、本当です。
繰り返し録画を見て観察しましょう。

最初は「何を」「どこまで」観察するのか皆目見当もつかないかもしれません。
自分が何に困っているのかわからないから観察のポイントもわからないのです。
そんな時に助けになるのが目標設定です。
目標を目標というカタチで設定できるまで観察します。
その過程において確認すべきポイント、
今まで自分が曖昧にしていたのに気がつけないでいたポイントに
自分で気がつけるようになります。

観察できるようになれば
目の前にいる対象者の方に「イマ」「ナニが」起こっているのかを
洞察することができるようになります。
障害がどのように現れ、その障害を代償しようとした結果
能力が不合理に発揮されていることが手に取るように分かるようになります。
だから、どうしたら良いのかが「結果として」浮かび上がってくるのです。
過程をすっ飛ばして「結果」が得られることはありません。
無意識には本当はわかっているからこそ、不安になるのではないでしょうか。

真摯に向き合っているからこそ
「対象者の方に」どうしたら良いのかという悩みが出てくると思います。
でも本当は
「自分が」どうしたら良いのか悩むべきなのです。
ここでも問題設定の問題が起こっているのです。

目標設定について
定義や自己トレーニングの方法について
_目標設定のページ_にまとめてあるので良かったらご参照ください。

遠回りになるかもしれませんが
逆に言えば、遠回りしたからこそ深く知見を習得することも可能と言えます。
逆に、教えてくれる人がいたとしても、
その人の技量が未熟であれば不適切な知見を得る恐れだってあります。

「ちゃんと教えてくれる人」って実はそうそういないのが現状でもあります。
もし身近に「ちゃんと教えてくれる人」がいたら
その人は本当に良い人です。
良い人に出会えたことを感謝して大切にしてください。

そうでない人は
「ちゃんと教えてくれる人」がいないのが通常だと思って
覚悟を決めて自分で自分をトレーニングしていきましょう!
そして自分自身が誰かに「ちゃんと教えられる人」になれるようになりましょう。

曖昧な部分を自分が自覚できるからこそ
曖昧な部分の明確化が可能になります。
(まさしく、予算立案と一緒です。)

一つ一つの明確化、地道な努力の積み重ねによって
根拠の確からしさを説明できるようになれば
結果として、過程における自己承認ができる
ようになってきます。

繰り返しますが
手段と結果として起こることを混同してはいけないのです。
自身の実践に見通しを持てなかったり、不安を抱いている場合に
実は問われるべきは実践の確からしさではなくて実践に至る過程での明確化なのです。

より良いOTになるために
より良いOTを育成するために
最も重要なメタ過程というべきこれらの過程を
卒前卒後でどのようにして連携しながら養成していくのか
(私たちは大人ですから、個々の課題だとも言えますが)
そうも言っていられない現状もあるのではないでしょうか?

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