県士会サイト 「よっしーずボイス」に書いた記事へのコメント を読んで
考えさせられたことがあります。
私が返したコメントは
望ましい臨床思考を明確に言語化してこなかったツケを
若い人たちが払わされるという構図になっている気がします。
臨床力を高めるためには、理論や論文の読み書きよりも
もっと重要なことがあるのに、ここでもすり替えが起こったと考えています。
というものです。
抽象論総論理想論を語るのではなくて、
理想を具現化するために、こうすればいいよ、こうやって考えるんだよと
実践を通して指導できる人があまりに少ないように感じています。
理論の勉強や論文の読み書きは
しないよりはしたほうが良いでしょうけれど
臨床能力を高めることには役立ちません。
ある研究者も下記のように述べています。https://twitter.com/shinshinohara/status/1451563470495752199?s=21
科学では、まず「観察」が最重要。理論が観察の邪魔をするようなら、その理論はいったん忘れた方がよい。観察する際の「目のつけどころ」を教えてもらうものとして理論を利用するなら構わないが、あくまでそれは目のつけどころの一つしか示してくれない、という限界もわきまえる必要がある。
ちなみにこの人は、部下や子どもを褒めないそうで、そのあたりの記述も勉強になります。
さて、
話をもとに戻しますが。。。
作業療法士ならずとも
対人援助職あるあるなのが、モノゴトのすり替え・目的と手段の混同です。
「多訴の方への対応」でも書きましたが
対象者の困りごとなのか、自分の困りごとなのか、いつの間にか混同やすり替えが起こります。
食事介助の講演での質問あるあるが
「口を開けてくれない」
「いつまでもモゴモゴしていて飲み込んでくれない」
言葉には発する人の意思が反映されます。
「〇〇してくれない」
つまり、〇〇してもらえないくて困っているのが介助者だと自分で言っているわけです。
食事介助が
「食べることの援助」ではなくて
「食べさせる」ことになっているから
上手く食べさせられなくて「私(介助者)が困っている」から助けてほしい。と
目の前にいる○さんが上手く食べられるようにどのように関与したら良いのか教えてほしい
ではなくて。
このような混同・すり替えは
安易な気持ちの職員だけでなく、対人援助職の宿命のようなもので真摯な人にも起こりえます。
「実習は楽しく」「仕事は楽しく」「OTは楽しく」
などと言う人は少なくありませんが、ある意味すごいなーと思います。
「精神科作業療法は作業療法士によって潰される」
と言った精神科医の言葉を思い出します。
その医師はおそらく、作業療法のチカラをわかっているからこそ
そう言うしかなかったのだろうとも思います。
1 comment
確かユングが、理論を学習することは大いにけっこうだしその必要もあるが、患者を前にしたらそれらは一切忘れろ!てなことを言ってた気がする。なるほど!と思ったが。
どっちかと言えば逆の人が多い気がする。
大して知りもしないのに一生懸命思い出して無理に適用する、結果として事実に気づかない、もしくは事実を捻じ曲げる。