何かを知ろうとしても、
その反対のことを知るまではその何かを知ることはできない
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私がモノゴトを提唱する際は
食事介助など実技体験も含めて
講演の時でも、こちらのサイトでも
旧態依然とした方法論と私の提唱とを対比させて説明するようにしています。
私の提唱だけを書いたのでは、
旧態依然とした方法論を採用している人に伝わらないからです。
対比させることで明確化できます。
意識的に仕事をしていれば
必ず旧態依然とした方法論に疑問を抱かざるをえない場面に遭遇するはずなんです。
初めはちょっとした違和感から
その次に既視感とともに違和感が確信へ変わっていく。。。
そこが分かれ道です。
現実を否認し、日々の安寧を選択する人と
現実を受け入れ、日々の困難を受け止める人との。
よく言われるのが
「なんとなく抱いていたモヤモヤをはっきりと言葉にしてくれた」
「おかしいと思っていたことの正体がわかった」
「私がおかしいんじゃないとわかった」
「眼からウロコだった」
「すごくわかりやすかった」
「その通りだと思った」
「過去に担当したケースを思い出し反省した」
といった感想です。
一方で、ディスられた、とか、やっていることを否定された、ショックだったとか
アンケートに書かれたこともありましたっけ。。。
受け取り方は人さまざまなのは承知していますが
何のために研修を受けるのだろう?と思ってしまいました。
学ぶということは変わるということ
より良い対応ができるようになりたいんじゃないのかなぁ?
と思っていましたが。。。
まぁ、そうやってアンケートに書かれたということは
少なくとも指摘が届いたということで、対比した意義があったわけですが。
後は本人の選択なので。
口はばったいことを言うようですが
旧態依然とした現行まかり通っている方法論のどこがどうおかしくて
でも部分的に良い面があるからこそ漫然と継承されてしまった部分を
明確に指摘をした上で、改善案を具体的に提示している
当然、結果も出している
ここまでしている人ってそうはいないんですけどね。。。
科学は過去の知識の修正の上に成り立つ学問です。
画期的なパラダイムの変換を要請されるような提唱は
その都度否定・否認されてきましたが
必ず最後には提唱の正しさが証明されてきました。
90%の力を引き出せる人は
80%の力を引き出している人と50%の力しか引き出せていない人との違いがわかります。
でも
40%の力しか引き出せない人には
80%の力を引き出している人と50%の力しか引き出せていない人との違いがわからないのです。
まさしく、観る眼がないから
わからない人に説明しても
こちらがいくら事実を伝えても
相手は見れども観えず、違いが本当にわかっていないので
まさしく本当にわからないから
こちらを否定するしかないのです。
私にできるのは
明確に対比させるところまで。
「この方は本当はここまでできる人なのよ」ということを示すまで。
後は受け取る人次第
若い頃は、このことが本当の意味ではわかっていなかったから
自分を責めたり
伝え方を必死になって工夫したりしてきましたが
自分が努力してきたからこそ言えることがあります。
言っても無駄な人もいるのです。
事実を受け止めることができない人もいるという現実があります。
ただし、言ったことが正当であれば、受け取ってくれる人は必ずいます。
思い込みを脱して目の前で起こっていることを観察し
事実から学ぼうとする人は必ずいます。
私が30年以上前から
スプーン操作について提唱してきたことが
今大きな流れになって多くの人が提唱するようになってきました。
それと同じように
スポンジリハや対応の工夫あれこれについて
私が提唱してきている、でも今はまだ受け入れてもらえていないことも
きっと多くの人が提唱するようになると確信しています。
私は臨床家ですから、為すべきは結果を出すこと
結果を出すにももっと短い時間で
もっと広く深く
能力を発揮していただけるように援助すること
そして、それらを伝えていくこと
WBCの試合を見て
決してあきらめずに頑張ろうと思いました。
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