「力は前向きにも後向きにも使える」

「力は前向きにも後ろ向きにも使える。
 でも、両方の方向に同時に使うことはできない。」


これは、アーシュラ・K・ル=グウィンの
「西のはての年代記 ギフト」でグライが語った言葉です。

直接には、能力の用い方や権力について語っている言葉ですが
私は、援助の本質もついている言葉だと感じました。

歩くことを援助するのか、歩かせるのか
食べることの援助するのか、食べさせるのか

見た目、まったく同じように見えて
働きかけとしては、180度異なります。

そして
対象者の反応は、
こちらの意図に応じて反応します。
歩くことの援助に応じた反応、歩かせられたことに応じた反応
食べることの援助に応じた反応、食べさせられたことに応じた反応

その反応はその場で直接返ってくることもあれば
蓄積されて大きな反応となって返ってくることもあります。

私は、学生の頃からこの問題について考えていました。
臨床に出てからも悩み続けていました。
自分の能力が圧倒的に不足している間は
働くことが本当に怖かった時期がありました。

リハビリテーションというのは
末梢への感覚入力をコントロールすることによって
中枢の機能・回路を再構築することが本質です。

昨今は廃用・筋力低下という思考・対応が本流のようになっていて
状態像の見極めなく安易に語る一般の方や関係者も少なくないので
非常に残念な状況だと感じています。

余談ですが
どうも日本人には、甘え、根性、精神論を振りかざす傾向が根深くあって
いろいろな場面に反映されているように感じられてなりません。

例えば
お年寄りのフレイル・引きこもりの問題についても
原因なのか、結果なのかという検討なく
活発な生活のために積極的に外出するように働きかけるとか
あまりに表面的な対応にすぎると感じています。

外に出て人と交流することが良いことだという前提としての議論がなく行われていますが
どうなんでしょう?
人と会話することが楽しいという人が
外出して交流しなくなれば、それは是非外出して交流する機会が必要だと思います。
でも、自分一人で沈思黙考することが楽しい人に対して
他者と交流しなさいと働きかけることは適切なことなのでしょうか?

「食べなきゃダメよ」って
食べられない、食べたくない、食べにくい状況があるのに
その状況をきちんと把握することなく
表面的に食べさせようとして食べてくれないことを問題視するとか。。。

為せば成る
というのは確かにそういう側面もありますが
そればかりとは言えない。

対人援助職というのは
対象者に対して
望むと望まざるとに関わらず
圧倒的に強い立場に立つわけです。

その前提、根本から出発するしかない。

そして、その前提、根本を
頭だけで考えるのではなくて
日々の臨床において
その時々の自らの言動をこそ、辛くとも自己検証するしかない。

そうやって
「援助」の援助たる姿勢と技術とを持ち得るようになるのだと思う。

力がなければ援助はできない

力を適切に用いることができなければ役には立てない


対人援助職が対人援助職として
職務を全うできるようになるためには
相応の時間が必要です。
ただし、時間さえあればできるわけでもない。
時間は必要条件だけど十分条件ではない。

経験が少ない時には少ないなりに
悪いことをしないで済むという側面もあります。

このことはとっても大切なことです。
良いことをしようと望んで、結果として悪いことをしてしまうことだって
臨床現場あるあるではないですか?

食事介助の場面において
誰も「食べ方が下手になっても構わない」「誤嚥性肺炎になっても構わない」
なんて思いながら介助するような人はいないと思います。
でも、現実には美味しく食べていただきたい、元気になっていただきたいと願いながらも
結果として、食べにくくなるような介助をしている人は山ほどいるわけです。

そして
こういった事柄は食事介助以外の場面でも起こっている事柄です。

良いことができるようになりたいと願う気持ちは尊いものですが
そのためには努力を重ねないと。
願えば行動に直結するわけがありません。
努力を積み重ねて初めて願いを具現化することができます。
その過程において悪いことをしないというのは、とても尊い関与だと感じています。

下手に場数だけを踏んで
自分が何をしているのかわからなくなってしまっている人や
やっている感ばかりが上達?している人だって
ある意味経験を積んでいるわけですが
そのような経験しかしていないと、
もう一つの現実を自身の眼で見る体験ができなくなってしまいます。

忙しい現実の間の中でも
本当に何とかしたいと願う人は
理想は遠くてもその時々でできる最善の行為を
人知れずに積み重ねていっているのではないでしょうか。。。

私も忙しい現実に押し流されそうになりながらも
時間を捻出するためには、対象者の人がよくなっていって
かけている時間を結果として減らしていくことが一番だとわかっているので
必死になって適切な援助を積み重ねています。
時には苦い自省をしながら。。。

「意図こそが重要」

スティーブ・ジョブズの言葉です。

自分が得た力は、
後向きには使わない。前向きに使う
という意図。

結果として
後向きに用いていないか
自己検証しようという意図。

力は同時に両方向には使えない。

例え
無自覚であったにしても
私たちは日々その都度その都度
力の向きの使い方を選択しているのだと感じています。



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